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知ったかぶりをするな

2021-04-14
自分をよく見せようとしたり、ビジネスの交渉の場で時には必要となるのが

「知ったかぶり」

知らないのに知ったような顔をすること。確かに、これ知らないの?というだけでビジネスの交渉の場ではステージから下されることもあるけれど、

・知らないことを知ること
・わからないことをちゃんと質問できること


がむしろ信用になったりする。私がいる金融の世界はそれが最たるところで、適当なことを言っている金融マンとちゃんと裏を取って話している金融マンというのはプロ同士だととてもよくわかる(一般の投資家から見たら営業マンは知ったかぶりだらけ)。これが英語を軸に話をすると尚更で、そうでなくとも日本人とか外国語を話せないだろうというイメージが強いのに(中国人、韓国人の印象はもはや逆)、適当な相槌打ったり、的を得ない質問を受けたりすると、その場でステージから下されることになる。

なのでどこで使うか、どこで使わないかというのが大事で、顧客の前ではない社内で、わからないことを堂々と伝えられる風通しの良さ、社員同士の助け合う雰囲気というのが求められる。そこでも「知ったかぶり」をすると、永遠に嘘の上塗りか隙だらけのボロボロな人材になり、数年経ったらボロが出てミスだらけになりクレームになる。最後には会社を辞めるという選択肢しかなくなり、社会に出てゼロベースになったら「知ったかぶり」ばかりするようになる。こんな使えない人材をどれだけ見たことか。。

是非「知ったかぶる」のはほどほどにして、わからないことはちゃんとその場で聞こう。それでも知ったかぶってしまった時は、(聞いた方が本当は早いんだけれど)自分で知らないことの10倍は勉強しよう。
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相手の反応を見て会話をするな

2021-03-28
海外生活が長くなり、必然的に日本との違いをハッキリと感じるようになる。色々な違いがあるんだけれど、普段ただ会話をするだけでも違うのが会話の手法。日本に帰って毎度言いたくなるのが・・・

「相手の反応を見て会話をするな」

言語が違うのはもちろんなんだけどw、他のアジア人含む日本人以外は自分が言いたいことをハッキリと持ってるから、言いたい事を最後まで言う。逆に人が話している時は最後までじっと聞く(腰を折ったりもするけれど)。

対して日本人は小さい頃から徹底的な同調教育を受けているせいか、人の反応を気にする。同意の合図をもらわないと自分が不安になるのである。相手に不安にさせたくない気持ちもあり、いちいち相槌を打つ。「私は聞いているよ」という合図である。これが慣れてる日本語だったらまだいいけれど、本当に迷惑なのが英語で話している時に「YES,YES」とか「うん、うん」とか言う日本人。相手の話が全然わからなくなるから、全員に迷惑千万である。

セミナー講師、会議の同僚、寿司屋の大将、バーテンダー、マジシャン、普段の日本人同士の会話(男女含む)・・・相手に反応してもらえるのを期待した会話の構成を考えるの本当にやめてほしい。自分で言いたいことの結論と筋道をちゃんと決めた時点で言葉を発してほしい。海外でそれやったら「だから?なんでその話始めたの?」である。日本人だからといって気遣ってくれるガイジンはしょうがないからそこに自分の考えを乗っけて話が盛り上がってるようにしてくれるけれど、彼の話の方へ持っていかれてしまうので、投げたボールは返ってこないよ。だから英語ができるできないの前に会話にならない。ガイジンの代弁させてもらうと「周りくどい」んです。ガイジンの方が「ストレートすぎる」んだとか排他主義の日本人は言うけれど、私が知る限りこんなことしてるの日本人だけです(韓国人は表面的なことだけ言って100%嘘ということが多々あるけれど)。

ちなみに私はだいぶ意地悪なので、そういう相手にはわざと返事をせず黙って聞いている。同調しない。相槌も打ってやらない。自分で発した会話のケツを自分で拭かせる。どれだけの話をできるのかチャンスをあげる。自分に自信のない人間はそこで脱落。一対一なら会話を降りるし、お店のカウンターだったら別の客か従業員に話しかけて誤魔化す。当然そんな店には二度と行かない。自分の仕事に自信がないのと同じなので、プロフェッショナルにお金を落としたい私からしたらもうそこに価値がない。自分の会話が誤っていたことに気づいてその場でやり直せたらまだ合格である。

一生日本人とだけ会話をして、付き合っていくって言い切るならそれでもいいんだけれど、今のご時世で流石にそんな恥ずかしいことも言えないでしょう。商売だったらインバウンド相手にしないといけないし、グローバライぜーションという同調圧力があるだろうからwお寿司は日本の代表だからっていつまでも胡座かいて日本語でネタの名前だけ言って誤魔化しますか?

なおこれを逆手に取ると、こんなブログも読まない、海外にも行かない、英語も話せない日本人を扱うのは極めて簡単になる。男女関係だったら、とりあえずなんでも相槌打って同調してあげればいい。特に女性はそれで満足。デートで相手を口説きたかったらひたすら同調、共感である。保険や車、家を売りたかったら、商品の話を論理的にするよりもひたすら無駄な会話のキャッチボールを繰り返す。そのキャッチボールの回数=信頼になる。蓋を開けてみたら(保険だったら契約1年後、車だったら車に乗り出してから、家だったら住み出したら)、ここ聞いてないよって質問した自分を責めず、営業マンを責める(当然、無意味な会話ばかりをして、大事な質問をしなかった本人が悪いんです)。バカ高い保険料、割高な輸入車、買った瞬間から価値が下がり出す家でも売れるのは、そういう客だからなんです。はい、海外ではそれじゃ売れないから、ちゃんとした商品競争があるんですね。セミナーもみんなの共感を煽り、セミナーに来ている瞬間だけが最も充実していている共感を呼べることが主催者のゴールなんです。セミナー後、家に帰ってそれを実行して2度とセミナーに来なくてもいい生き方、ビジネスをできることがゴールではありません。こうして「セミナー族」「資格族」ができ上がり、永遠対象を変えて時間と労力、お金を費やしていきます。

日本に住んでいても無駄なものを買わない、無駄な会話をしない生き方をするのか、無駄でもいいから変わらない楽さを選ぶのか。後者だったらここまで読んでないかw
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人それぞれなんて言ってる場合じゃない

2021-03-22
もう禁句にしたいって思っているのが・・・

「人それぞれだから」

という言葉。

「そんなことわざわざ言葉にしなくても誰でも知ってるよ。。。」

です。
最近の日本社会のブームなのか・・・

人それぞれの生き方(ケセラセラ)
それぞれの働き方(フリーエージェント)
子供それぞれ個性にあった育て方(モンテッソーリ)


と言いたい人がなんと多いことか。確かにこれまでこういう本質的に当たり前のことが、受け入れられてこない封建主義な社会でした。詰め込み式の義務教育に受験勉強、新卒採用。会社に勤めたら年功序列、終身雇用。子育ては躾に集団調和。どれも間違ってますけど、それ先進国では日本だけが何周か遅れていまだにやっていただけで、「人それぞれ」であるべきだというのはもうずっと前からグローバルスタンダードなんです。そんなことはベースである上で、他者よりも秀でるには同じ時間をどう生きるのか?が大事なんです。

ケセラセラだと言って、40歳にもなってまだフリーターやってる人、周りにたくさんいます。私の世代がちょうど就職氷河期で、派遣社員ができた時代です。やりたいことを見つけようって見つかるまでは親元にパラサイトしたり、バイトで食い繋いでいくフリーターが急増しました。それが40歳ともなると、結婚しないで一人で生きていたり、家族を持っても十分に養える稼ぎもありません。それまでフリーターで起業もできるわけありませんし、どこかの社員になることもできません。むしろこれまでの自分の人生肯定と小さなプライドが邪魔して身動き取れてません(その生き方がダメだと言ってるわけじゃなく、人それぞれだからそうやって勝手に生きてくれていいんですけど)。

コロナで悪化しましたが、自分のスタイルを取り戻すことが先行してしまい、一体自分がどんな価値を世の中に、会社に、顧客に提供できるのか口にしない人達がずいぶん増えています。我々の仕事で言うなら、投資家が何を好むのかは人それぞれです。顧客に合ったものを提供するから収益重視なことはしないって平気で言うダメ営業マンいます。そんなの職業倫理としてわざわざ口に出すまでもなく当たり前なんです。そんなことを普段口にしている人は結果的に契約も多くなく、収益も少なく、家族に皺寄せが来ます。(正しいことをした上で、が前提で)もっと稼いでいたら、顧客からも感謝され、家族にも感謝され、自分も新しい経験をするお金も時間も作ることができるのに。家族を持ち、責任を持つ人は、社会人としても責任を持てるので、会社への責任感もあるし、顧客への責任感もあります。責任を持ったら「人それぞれ」なんて言葉を言ってる暇がありません(結婚しないのも人それぞれだし、家族持たないのも人それぞれですが、誰かと仕事する限り結果に責任は持ってください)。

子供を育てる上での最大のベースは「人それぞれ」です。親御さん含む大人の都合を押し付けてはいけません。子供一人一人を見て、それぞれの個性、ペースを尊重し、育む必要があります(モンテッソーリ)。そんなのは子育てする上で、当たり前のことなんです。けれど、その上で、同じ一日、一年をどのように過ごすのか?で同世代と比べてどれほど秀でることができるのかが決まります。経験をしていない子には経験をした子ほどの選択肢はありません。自律をせず、読解力を持たず、自分が一生したいことを見つけることができなかった子供が大人になって「人それぞれ」だからと言っていても、健康だからということで親としてそれで満足でしょうか。モンテッソーリ教育と言いたいだけの学校が多いことも目につきますが、それが教育のゴールになってしまっている親御さんもよく見ます(健康な大人になることだけが目標の親御さんも人それぞれですからそれでいいですし、子育てに答えがないなんていうのも当たり前、じゃあ習い事増やせばいいというのも間違ってます)。

自分らしくではなく、自分の社会における価値を上げようと思うなら、「もう一歩先」を是非見てほしいと思います。
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自分年表を作ろう

2021-03-16
歴史の授業、好きでしたか?私は大嫌いでしたw過去に誰がどうしたとか、何年に何々が起こったとか、暗記して何になるんだろうって思ってました。。実際に社会に出て役にはたたなかったんですけど、海外へ出るようになると、当時日本でこんな時代だった時に、海外ではこんなのだったってのが勉強になります。日本は昔から良い意味では国を守りやすい、悪い意味では海外の良いことも取り入れられない国なので、江戸時代の鎖国を筆頭に相当な遅れが出てましたよね。現代でも日本語、規制、教育という見えない鎖国制度により、見事な海外とのコントラストができています。

話がずれましたが、そういう時代を生きているという年表は、歴史を知る上でとても大事ですよね。これを自分に置き換えて書いてみてください。私でいうと・・・

1980年:誕生
1998年:大学進学で東京へ
2002年:中国留学
2004年:野村證券入社
2009年:K2設立 ※K2の歴史はこちら
2013年:海外居住開始


という具合です。私自身の年表を皆さん見ても退屈だと思うので、詳しくは書きませんが、自分で作る際はこれを年単位で作ってください。毎年その年に何をしたのか?を書き記すのです。そうすると、これまでどれだけ有意義な人生を歩んできたのかわかります。逆にこの年何をしたんだろう?という人はもうちょっと真剣に生きた方がいいかもしれません。「幸せならそれでいいだろう」って、そりゃあそうなんですけど、それ人生のこと、社会のこと、自分自身のこと知らないから幸せなだけって話です。

仕事をしてキャリアがある人はこれ仕事では当たり前にしてますよね。今時終身雇用もありませんので、、転職する際には職務履歴書が必要になリます。仕事でこうしてたってことは書けます。けれど我々採用する側からすると、給料もらって時間売ってたんだから、書けることあって当たり前。むしろそれ以上にその時々で何を考え、何を目標とし、どんな結果を残してきたか?というのを見ます。時間を売ってただけだな、会社にとって価値のない時間だったなって思われたら、雇ってもらえません。

※K2採用サイトはこちら

またこういうキャリア重視の人達が私生活でどんな年表を作るのかも気になりますよね。偏見ではなく、これまで日本の企業マンは、会社で仕事をしていたら家事が疎かになっていいと思われてましたし、育児をしなくてもいいという習慣がありました。戸籍制度がなく、親権が父親、母親両方にある海外では必ず両親が家事、育児、教育をしますから、どちらも育休を取る必要が出てきます。日本の企業でそんな男性を見ますか?育休から戻ってきた女性社員がその前と全く変わらず働ける職場環境ありますか?ナニー(ベビーシッター)をする外国人労働者見ますか?共働きの両親が子供を連れて外食できるレストランありますか?子連れ禁止だと言われたことありませんか?もし外資に就職し、こんな企業マンであることがバレたら、人間性を疑われます。家族を大事にしない人間は、企業マン以前に人間失格です。プライベート年表書かせたら、仕事のことばっか書いたりすることになるんじゃないでしょうか。

毎年毎年を大事にしてきたということは、これからの一年を、日々を大事にすることになります。逆にこれまでの時間を大事にしてこなかった人達は、これからの時間を大事にすることもできません。これからの時間を大事したくないという人はいないのではないかと信じたいですがw、大事にしようと思うなら、ちゃんとこれまでの自分年表を書いて、できたことできなかったことをしっかりと整理し、後悔をしようということです。後悔をせず、ただ楽観的、ただ自分に自信を持っている、ただ幸せだと言っている人生だったら、これからいくらでも挫折するだろうし、挫折しても誰かのせいにします。一日一日を大事はせず、ただ(子供が成長するとか)事実だけが残り、歳を取ります。その歳相応のことをしていく人生でしょうか。言い訳だけはいくらでも用意できていることでしょう。

私も今年で41歳。なんだかずいぶん歳を取りました。。仲の良かった先輩ももう70を超えて終活しているし、あの頃教えていた教え子達はもう仕事を持って家庭も家も持っていることでしょう。ミドルエイジ(中年)。過去も将来もちょうど両方よく見える歳なのかもしれません。
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人と競うというのは自分がそのステージだと示しているだけ

2021-03-14
私も日本で教育を受けたのだけれど、アメリカの教育も含め、同じ歳だけで集めて教育を受けさせられるというのは多かれ少なかれ競争意識を刺激するものである。テストの点数、内申、給食の食べるスピード、スポーツ、音楽、受験、就職活動・・・なんかこうしてみるとたくさん無駄なことをしてきたなって思うけれど、どれも何かしら競争意識があってしてきたような気がします。

社会に出てみると、営業数字、出世、収入、車、家、結婚する歳?など競争はあるんだけれど、自分がそれに参加しないというのも出世しない選択と同じで、一応は選べる。会社を作ってみたら、大企業と同じようなことをしていたら、過当競争に参加することになる。けれどビジネスの成功は大企業の下請けになることでも、御上から仕事をもらい税金を落としてもらうことでもない。独自性のあるサービスを提供し、顧客に評価してもらうことである。

そのスイッチ転換は自分自身にある。自分が他者と比較をして、それに勝とうと思ったり、価値を主張した時点で、自分にはそれ以上の価値がないことを証明していることになる。他人と比較される程度の大差ない価値しか持ち合わせていないということを自分から示していることになる。自分自身に価値があるかなんていうのは、自分自身ではわからないものだ。わかっていたとしたらそれはただ自分に自信を持ちたいがための見栄であり、虚栄である。自分の価値は他人が評価することであり、競争をしようとすることは、評価をされたいからする行為である。自分が本当に価値があるとすれば、その価値を見出して評価してくれる人が必ず世間のどこかにいる。評価をしてもらうために自分の時間を使う暇があるのであれば、自分の価値を高めることに使うべきなのである。それをしている人が本当に価値があり、それを周りが評価してくれる。想えば逆を行け、だ。

自分を評価してくれという人間と話すのは辛い。言ってきてる時点で、評価できることが少ないことがわかっているからだ。確かに100話したら5くらいは知らないことが出てきて、評価の足しになることはある。けれど、その会話をしている時間を使って、5を10にでもする努力をしてほしい。自分に何が足りないのかを気づきたいなら、自分に何が足りないのか素直に聞けばいい。そういう人は5が50にも90にもなりえる。たまに聞いている行為がパフォーマンスな人間がいて、言わせておいて、行動しないというのは救いようもないが・・・。

そういう私自身も自分を戒めて、何が足りないのか、何ができるようになるのか、何を与えられるのかを考えていかなければいけない・・・と伝えると、最も救いようのない人間は決まって「ほらあなたにも足りないところあるでしょ」とまた競争を始める。気づくか気づかないか。1年、5年、10年後の結果でわかった時には、もうお互い関わりもないだろうから、答え合わせもできないまま人生が終わっていく。本当に理解しているのは自分のみ。虚栄も張れなくなった頃、後悔を口に出せたらまだマシ。
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