FC2ブログ

人と関わる時の僕のスタンスまとめ

2019-02-21
ちょっとネタバレになるけど、最近僕も大人になって(39歳なんだからそりゃあそうだろう)きて、色々学んだことがたくさんある。そのうちこうして文章にしてもいいかなって思ったタイミングで書いてるんだけれど、これももうそろそろ書いてもいいかな、ということで。

人と関わる時の僕のスタンスまとめ。

1)他人を自分の狭い世界に引き込む必要はない
2)そのままあるものを活かそう、誰かと比較しない
3)いいとこ褒めて、足りないところはさりげなく伝える
4)10伝えて2できたらいい、そこを褒めよう
5)足りなくても転ばないくらいに後ろから見ていよう
6)Win-winになるポイントを作ってあげる


こうすることで人との関係はスムーズになるし、きっと感謝されるようにもなる。

こう考えるようになったのも、自分がしたいことをある程度したし、自分もある程度成長できたことで、自分でできることがとても増えたし、見える世界がとても広がった。けれど自分一人でやって満足したり楽しんだりできることなんて人生のほんの一部分でしかなくて、そんなことすぐにつまらなくなった。そんなのできて当たり前で、それ以上にそういった自分が観てる世界、知ってることをいかに周りの大事な人達に伝えて果実として残してあげられるか、が今の僕のテーマ。

当然その先に見返りなんてなんにも期待してなくて、人が変わった事によって自然と自分の世界が広がっていくのが面白い。皆それぞれのやりがいを見つけ、達成するために努力をし、幸せになっていく。そしてまたそれをどこかで周りに伝えていく・・・。その辺になると僕にも見えないから、実感なんて本来ないんだけど、実はそれもその人を介して間接的に見えたりして、っていうのがまた楽しい。

人の成長。人の可能性。広がる世界。そういう人生の楽しみ方してます。
tag :

人の長所を活かし、人の短所を補う

2019-01-28
会社では採用と育成、プライベートでは家族関係と教育というのを見ていると、良い組織、家族を作るには・・・

「人の長所を活かし、人の短所を補う」

いうことがとても大事だと気付かされる。そして常にある最も楽で簡単な答えは自分ひとりでやること。けれど一人でできることなんて限られるし、一人でやって生まれた価値なんてたかが知れてる。自己満足で自分一人が食べていくだけならそれで十分だけど、それでは人生退屈

人の長所を活かすには、まずその人それぞれの長所を見極めないといけない。短所が多いのが多くの人に言えると思うけど、長所がない人なんていないものだ。だから長所を見つけ、会社ならその長所を活かした部署と仕事、相性の合った人を配置する。そして短所を補えるよう人材配置し、長所を発揮できるところに責任を持たせる(短所を補うための教育は直接的だとコストと時間、ストレスがかかるので、間接的で良い)。家庭なら離婚や決別という選択をしない限りは、長所だけを活かし、短所は自分が補うか家政婦、ナニーを雇うなりする。

ただし長所を活かすと言っても、チャリティ、ボランティアになっては自分(または会社)がまいってくるので、持ち出し以上の結果が期待できるラインをデッドラインと決めておく。そこを長期で見るか短期で見るかは、キャッシュフローにもよるし、事業戦略(または人生計画)にもよるので、よく戦略と睨めっこしてほしい。

自分と合わない人はたくさんいる(たぶんそっちの方が多い)。けれどそういう人達を見ぬふりをして行きていくか、偏見や先入観なく見て会って話してから自分の態度を振り分けていくかで、人生の広がりが大きく異なってくる。自分を狭い世界に閉じ込めれば、自分自身不安になり、不満を抱きやすい人間になる。一度開放してしまえば、自分が人を選んでいるようで、人が自分を自然と選んでくれるようになる。合わない人は近づいてこないし、自分にも何かできると感じてくれる人は力になってくれる。都合よく利用したいと思う人間は、その頃には自分で気づけるようになっているので、あしらってもいいし、自分の経験値上げる程度で適当に付き合ってもいい。

人生、人、家族・・・複雑なようで一定のルールがあるように見えてくる。ルールを理解し、ゲームを戦わないと勝てるものも勝てなくなる。

tag :

私が持っていたコンプレックスとその向き合い方

2018-11-27
昔のこと思い出す時間がなくてもだし、そういう性格でもないから忘れてたけど、聞かれて真面目に考えてみると思い出すことがある。その一つが昔自分が持っていたコンプレックス。

時期で言うと大学まで。高校生までは岐阜の田舎でただなんとなく生きてきただけなので、とにかくコンプレックス以前に何がしたいのかもわからなければ、比較するような環境もない。唯一合ったのが部活と勉強くらい。そのくらいしか比較するものないから、それでどんぐりの背比べをしいた。今思い出すと怖くなるくらいの閉鎖された世界だった。

それがコンプレックスに気づいたのが大学で東京に出てきてから。そもそも大学受験まで東京にすら行ったことがなかったというのが恥だがw、いざ大学に入ってみたら同級生の10%が帰国子女で英語ペラペラ。そもそも日本人に見えない人までいる。ESLとかで英語ができるようになったけど、逆に数学や国語はそこまでできないと言ったって、英語のリスニング、リーディング、スピーキングが全くできなかっただけでコンプレックス(受験には必要なかった)。

コンプレックス1)英語(外国語)

そして周りは東京出身者がいれば地方出身者もいる。けど公用語は当然標準語。岐阜弁という訛りがあることにすら気づいてなかった私は、普通の会話すらままならず彼女もできずかっこ悪かった・・・。

コンプレックス2)標準語(日本語)

最後に服装。同じ大学1年生なのに、オシャレを知ってるっていう東京人のズルさ。そもそもオシャレに使うお金もなければオシャレという概念すらなかったので、これまたコンプレックス。

コンプレックス3)ファッション

こういうコンプレックスって誰もがその時々で持ってると思うんだけど、それに対しての対処法は2種類。

A)向き合って克服する
B)避けて自分の得意なところを伸ばす


私の場合は正確的にA)が合っていたので、標準語になって、中国行って中国語話せるようになって、野村で働きながら英語やって、メンノンの読者コメンテーターやって克服をした。そうするとそれを前に出すことはなくても、見えないところで根本的な自信となって、仕事やプライベート、ビジネスに活かされたんじゃないかと思う。

とはいえ根本的に変えられないこと、私だと色弱で色が苦手というのは絶対に変えられなくて、一般の人と比べたら劣っていることがある。けどそれを気にしてもどうしようもないっていう諦めもあって、そここそB)で対処してる。自分の人生、向き合うしかないよね。この世に生まれて、健康にすごせてるだけで感謝。

あなたはどんなコンプレックス持ってますか?
tag :

「枠にはまる人間」と「枠を作る人間」

2018-11-26
よくいう話だけど、

枠にはまる人間
枠を作る人間


といる。枠にはまる(はめる)人間は自分の人生の決定は会社や社会のルール、世間の評判だったりするし、子供の教育問題も結局自分(親)の小さな世界という枠にはめようとする。言い方変えると親に都合のいい子供になってもらうように枠を決め誘導する。遺伝というのもあるんだけど、親子と言っても全く異なる人間。人の型にはめられることになった子供は違和感を覚えるし反発する。つまり本当に自分がしたいことが見つからず悩む。最後には親を否定してでも自分でたくましく育っていくか、親の枠にはまった人生を全うしていくか決めることになる。

枠にはまらなかったこうした子供達は、会社、社会、国、世間が言っていることがだいたいすべて誰かに都合がいいだけの枠だということに気づき、そして自分をよく理解しているので、自分がいつどこの枠にいるべきかを自分で決める。そして会社、組織、自分ルールなど独自の枠を生成していく。こういう人が親になって子供に自分の成功法則を押し付けるのではなく、子供にも自分で考え、自分のしたいことを理解し、それを自分で探求していけるような教育をさせてあげるととてもいいと思う。成功法則も幸福基準も親子で全然違ってくるだろうから、自己流で成功した親の枠を押し付けてもダメということである。

枠にはまっている人達は、それぞれの枠にとって都合のいいポジショントークをするために都合のいいデータを抜粋してきて、他人も枠に従わせようとする。同じデータを見ているはずなのに、データそのものを客観的に把握しそのままを活かそうとはせず、自分の先入観と自己肯定のためのデータ収集に走る。そこまでその枠を守ることに意味があるのかと思うけど、本人が気づいていない場合が多いから気をつけたい。

この話の根本にあるのは、人はそれぞれバラバラだということ。パターンやタイプ分けをしたいのが人間の性なのかもしれないけど、子供も皆違うし、大人になっても皆違う。国によって文化も違えば、時代によって価値観も異なっていくし、ビジネスの仕方も成功法則も変わっていく。なのでそれに対応できる「個」であるために、自分で「なぜ」を見つけ、因果関係を調べ、人を導き解決していく。つまりは「自律」をした人間になるということだけが、唯一の対応策なんじゃないかなと思う。そのためのヒントは本にも教育の中にもあるんだけど、その都度「そうじゃない情報や人」の方が多く触れてしまうことになるので、気をつけたい。
tag :

程度のいい人間になるということ

2018-11-01
友達と言っていいのかどうかわからないけど、仲よくていつも一緒にいて楽しい誤時さんという人がいる。その人は僕の倍近く生きてる人で、一緒に食事も行くけど、いつもBARで一緒になる。

その誤時さんが私に言ってくれるのが「程度のいい人間」だということ。最初言ってることがわからなかったけど、段々と人生経験積んで色んな人とあっているとわかってくる。「程度のいい人間」というのは、右も左も、上も下も、奥行きも浅さもわかって味わった上で、今自分がここにいるというポジションを取れる人間。だからどちらの気持ちも行動も理解できるし、その行動も取ろうと思えば取れる。けれどそれを取るタイミングや場面というのは、自分で決めることができる。そういうのを程度がいいんだろうなって思う。

私の性格的に・・・

・先入観を持たずまずする
・できるだけ効率的にやりながらも常に「なぜ」と考え右、左と試す
・その上で自分がその先続けるかどうかを決める
・大事なものでずっと続けていくことと、新しくチャレンジすることをフィルタリングしていく
・その間も常に情報を色んなところから取って、新しい価値観や考え方を模索していく
・常に自分が恵まれていて、幸せだと感じる


をどっかのタイミングから繰り返している。
小学校?中学?よく覚えてないけど、繰り返して足りなかった「経験」を足していった。
38歳になってちょっと経験ができて、前には指針となる誤時さんがいて、自分の後ろを振り返って、横を見回してみると、そういうことかなと思う。

きっと人の目指すところって、プロパガンダ的な見栄えのいいものとか、お金とか、名誉みたいのあるけど、この「程度のいい人間」なんじゃないかと思う。それが価値観がズレてる人にはつまらない人間に見え、まだ見えない人には凄みに見え、程度のいい人には深みがわかるんじゃないかと思う。

ちなみにこの誤時さんは程度はもちろん良いんだけど、ファッションも生き方も交友関係も吹っ飛んでるww私も人生の振り切り方がまだまだだw
tag :
<< topページへこのページの先頭へ >> 次のページへ >>