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私が持っていたコンプレックスとその向き合い方

2018-11-27
昔のこと思い出す時間がなくてもだし、そういう性格でもないから忘れてたけど、聞かれて真面目に考えてみると思い出すことがある。その一つが昔自分が持っていたコンプレックス。

時期で言うと大学まで。高校生までは岐阜の田舎でただなんとなく生きてきただけなので、とにかくコンプレックス以前に何がしたいのかもわからなければ、比較するような環境もない。唯一合ったのが部活と勉強くらい。そのくらいしか比較するものないから、それでどんぐりの背比べをしいた。今思い出すと怖くなるくらいの閉鎖された世界だった。

それがコンプレックスに気づいたのが大学で東京に出てきてから。そもそも大学受験まで東京にすら行ったことがなかったというのが恥だがw、いざ大学に入ってみたら同級生の10%が帰国子女で英語ペラペラ。そもそも日本人に見えない人までいる。ESLとかで英語ができるようになったけど、逆に数学や国語はそこまでできないと言ったって、英語のリスニング、リーディング、スピーキングが全くできなかっただけでコンプレックス(受験には必要なかった)。

コンプレックス1)英語(外国語)

そして周りは東京出身者がいれば地方出身者もいる。けど公用語は当然標準語。岐阜弁という訛りがあることにすら気づいてなかった私は、普通の会話すらままならず彼女もできずかっこ悪かった・・・。

コンプレックス2)標準語(日本語)

最後に服装。同じ大学1年生なのに、オシャレを知ってるっていう東京人のズルさ。そもそもオシャレに使うお金もなければオシャレという概念すらなかったので、これまたコンプレックス。

コンプレックス3)ファッション

こういうコンプレックスって誰もがその時々で持ってると思うんだけど、それに対しての対処法は2種類。

A)向き合って克服する
B)避けて自分の得意なところを伸ばす


私の場合は正確的にA)が合っていたので、標準語になって、中国行って中国語話せるようになって、野村で働きながら英語やって、メンノンの読者コメンテーターやって克服をした。そうするとそれを前に出すことはなくても、見えないところで根本的な自信となって、仕事やプライベート、ビジネスに活かされたんじゃないかと思う。

とはいえ根本的に変えられないこと、私だと色弱で色が苦手というのは絶対に変えられなくて、一般の人と比べたら劣っていることがある。けどそれを気にしてもどうしようもないっていう諦めもあって、そここそB)で対処してる。自分の人生、向き合うしかないよね。この世に生まれて、健康にすごせてるだけで感謝。

あなたはどんなコンプレックス持ってますか?
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「枠にはまる人間」と「枠を作る人間」

2018-11-26
よくいう話だけど、

枠にはまる人間
枠を作る人間


といる。枠にはまる(はめる)人間は自分の人生の決定は会社や社会のルール、世間の評判だったりするし、子供の教育問題も結局自分(親)の小さな世界という枠にはめようとする。言い方変えると親に都合のいい子供になってもらうように枠を決め誘導する。遺伝というのもあるんだけど、親子と言っても全く異なる人間。人の型にはめられることになった子供は違和感を覚えるし反発する。つまり本当に自分がしたいことが見つからず悩む。最後には親を否定してでも自分でたくましく育っていくか、親の枠にはまった人生を全うしていくか決めることになる。

枠にはまらなかったこうした子供達は、会社、社会、国、世間が言っていることがだいたいすべて誰かに都合がいいだけの枠だということに気づき、そして自分をよく理解しているので、自分がいつどこの枠にいるべきかを自分で決める。そして会社、組織、自分ルールなど独自の枠を生成していく。こういう人が親になって子供に自分の成功法則を押し付けるのではなく、子供にも自分で考え、自分のしたいことを理解し、それを自分で探求していけるような教育をさせてあげるととてもいいと思う。成功法則も幸福基準も親子で全然違ってくるだろうから、自己流で成功した親の枠を押し付けてもダメということである。

枠にはまっている人達は、それぞれの枠にとって都合のいいポジショントークをするために都合のいいデータを抜粋してきて、他人も枠に従わせようとする。同じデータを見ているはずなのに、データそのものを客観的に把握しそのままを活かそうとはせず、自分の先入観と自己肯定のためのデータ収集に走る。そこまでその枠を守ることに意味があるのかと思うけど、本人が気づいていない場合が多いから気をつけたい。

この話の根本にあるのは、人はそれぞれバラバラだということ。パターンやタイプ分けをしたいのが人間の性なのかもしれないけど、子供も皆違うし、大人になっても皆違う。国によって文化も違えば、時代によって価値観も異なっていくし、ビジネスの仕方も成功法則も変わっていく。なのでそれに対応できる「個」であるために、自分で「なぜ」を見つけ、因果関係を調べ、人を導き解決していく。つまりは「自律」をした人間になるということだけが、唯一の対応策なんじゃないかなと思う。そのためのヒントは本にも教育の中にもあるんだけど、その都度「そうじゃない情報や人」の方が多く触れてしまうことになるので、気をつけたい。
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程度のいい人間になるということ

2018-11-01
友達と言っていいのかどうかわからないけど、仲よくていつも一緒にいて楽しい誤時さんという人がいる。その人は僕の倍近く生きてる人で、一緒に食事も行くけど、いつもBARで一緒になる。

その誤時さんが私に言ってくれるのが「程度のいい人間」だということ。最初言ってることがわからなかったけど、段々と人生経験積んで色んな人とあっているとわかってくる。「程度のいい人間」というのは、右も左も、上も下も、奥行きも浅さもわかって味わった上で、今自分がここにいるというポジションを取れる人間。だからどちらの気持ちも行動も理解できるし、その行動も取ろうと思えば取れる。けれどそれを取るタイミングや場面というのは、自分で決めることができる。そういうのを程度がいいんだろうなって思う。

私の性格的に・・・

・先入観を持たずまずする
・できるだけ効率的にやりながらも常に「なぜ」と考え右、左と試す
・その上で自分がその先続けるかどうかを決める
・大事なものでずっと続けていくことと、新しくチャレンジすることをフィルタリングしていく
・その間も常に情報を色んなところから取って、新しい価値観や考え方を模索していく
・常に自分が恵まれていて、幸せだと感じる


をどっかのタイミングから繰り返している。
小学校?中学?よく覚えてないけど、繰り返して足りなかった「経験」を足していった。
38歳になってちょっと経験ができて、前には指針となる誤時さんがいて、自分の後ろを振り返って、横を見回してみると、そういうことかなと思う。

きっと人の目指すところって、プロパガンダ的な見栄えのいいものとか、お金とか、名誉みたいのあるけど、この「程度のいい人間」なんじゃないかと思う。それが価値観がズレてる人にはつまらない人間に見え、まだ見えない人には凄みに見え、程度のいい人には深みがわかるんじゃないかと思う。

ちなみにこの誤時さんは程度はもちろん良いんだけど、ファッションも生き方も交友関係も吹っ飛んでるww私も人生の振り切り方がまだまだだw
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恩を売るチャンス

2018-10-25
友達や家族、会社の同僚など誰かと関わる時、完全にイーブンでいられる状態なんてほとんどない。ずっとそんな状況だとすればそれはほとんど「赤の他人」という状態である。そして関わる時には必ず

・何かをしてあげる
・何かをしてもらう


のどちらかが生まれる。どっちがいい悪いは全くなく、先に何かをしてもらってもいいと思う。ワガママとの境を気をつけてもらいたいんだけど、何かをお願いするってことは自分も「将来何かをお願いしてくれていいよ」と暗に言ってるということ。逆に何かをしてあげるということは、将来何かをしてもらうということ。そのWin-Winの関係がなければいくら血のつながった家族だろうが、昔からの幼馴染だろうが、夫婦だろうが成り立たない。

だからもし誰かに何かを頼まれたら、それはチャンスと思うこと。つまり「恩を売るチャンス」なのである。金銭が絡んだりリスクがかかってくることはダメだけど、自分の身一つでできることならどんどん請け負う。ただし最初に恩を売るのは一つまで。一つ売っておいて何も返して来なければその人はそれまでということ。次へいこう。もう一つ、あってすぐに何かを頼んでくる人もダメ。人にやってもらうことに慣れすぎてるただのワガママな人(日本の消費者ってこういう人多いよね)なので、その時は即断ろう。
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与える人間、与えられる人間、一人で生きる人間

2018-06-25
なんでもタイプ分けするなと言われそうだけどw、現実的に38年生きてると、色んなタイプ分けがあるけれど、こういう分け方をすると3通りで分類される。

1)与える人間
2)与えられる人間
3)一人で生きる人間


私もそうだけど、1)与える人間というのは常に

「私が会社に、社会に、顧客に、友人に何ができるかな?」

という思考で物事を考える。
そのために自分ができることを増やしてき、最大限をそれをTPOで発揮できるよう行動していく。
タイプ的には必然的に経営者に多いと思うけれど、経営者でも政府に、取引業者に、既存客に何かを与えられることだけを待っている経営者も多く見るので、一概に経営者だから、というわけでもないと思う。

対して、こうした1)から与えられることを待つ人間たち。これも同じくサラリーマンだからとか、士業だからとか主婦だからと分けられるわけでもないと思うけれど、与えられることを待っている人達というのは決まって、

「今季の目標はなんだろう?」
「〇〇さんがこう言っているから」
「〇〇協会がこういっている」
「この業界はこうすることが慣習」


という何を誰に与えられるか?思考になっている。
これは考え方、姿勢であって上記職業の中でも色んな人がいる。
サラリーマンでも会社という組織の中で自分ができることを最大限発揮するために生きている人は自然と経営感覚が磨かれ、役員になっていく。
そうでないとずっと平社員(給与&賞与)の世界で生きる。

士業でも資格を取った後ビジネスとして努力していく人は自然と与える人間思考になっていく。
でないと客もついてこないし、収入にならないからなんだけど、それがわからない人はただ資格取って、みんながしてるからって独立して、客に仕事を与えられることを待っている。

主婦も・・・同じだと思うけど、プライベートなことと、自己肯定の主婦が多いのも事実だから、あまりここは触らないようにしよう(笑)。

いずれにせよ与えられる人は与えられることに待っている習慣が板についてるから、与えられることを期待していただけで自分では十分なことを自分からしてこなかったにも関わらず、結果が伴わないと他人批判に走る。
こっちがマジョリティだから社会は面倒くさい。

営業マンもこっちが多い。
客に買って欲しい、この人お金持ってそうだからってすり寄って来てるのは自分にも関わらず、買ってもらえないと、否定されると逆否定(逆ギレ?w)に走る。
与える人は、それ知ってるから、与えられることを待ってるだけの営業マンは関わらないか、ハッキリ拒否します。

最後に3)一人で生きる人間。

社会って競争社会で、こういうのはあって当たり前。
与える側と与えられる側両方を見ていると、与えるほど責任感を持ちたくもないし、自分にその器量もない。
けれど与えられる側は、上の顔色を伺わなきゃいけないし、自分の自尊心も傷つく。
だから一人で生きよう、って1)、2)から逃避する人もたくさんいる。
結果、一番楽な一人で生きていくことを選ぶ。
けどこの人達もたまに誰かと関わると与えられる人間になる。
与える器量はないから、結果そうなるよね。
けどそこで一人ではないから必ず不満が出てくる(与えられる側にも関わらず)。
自分は自分ってわけわかんない正当性を出してきて、与えてもらってるものだけもらうことを当然のようにもらっていく。
そしてまた一人の世界に戻る。

これを何度も何度も年齢関係なく見てきた。
そしてその人がどんな人かって見極めるのって意外に簡単で、今現在その人がどの姿勢で物事を考え、発言し、行動してるか、っていうのを見ると、どのタイプの人間なんだってすぐわかる。
そして・・・

どのタイプと付き合いたいか?
この社員はどのタイプか?
この営業マンはどのタイプか?


というので自分が付き合うのかを決めるといい。
2)の人はむしろ1)の人の方がメリット大きいから近づいていくことになると思うし、3)の人は3)の人と付き合うことが多いと思う。
けど1)の人は与えることに慣れてるし、与える対象になる人は1)ではないだろうから、2)と3)の人をいかにうまく付き合って、いかに価値を創造していくか?という思考になる(結果、社会や会社に価値を与えていくことになるから)。

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