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全ての発展のスタートは「今あるもので幸せ」だと思うこと

2021-09-18
成長を望む人、成功を目指す人、次のステージに行きたいと思ってる人。人間欲があるから向上心を持て、人生を突き動かすものがある。けれどそのサイクルがうまくいく人といかない人の差は、今正しいスタート地点にいるかどうか。そのスタート地点というのが・・・

「今あるもので私は幸せだ」

と思うこと。

この世に生まれてきただけで幸せ
健康でいられるだけで幸せ
家族といられるだけで幸せ
身近に自然があるだけで幸せ
仕事があるだけで幸せ


まずはこういう当たり前のことに感謝をするからこそ、スッキリした気持ちで本当にそれプラス欲しいものを考えることができる。これが・・・

もっとお金持ちの家に生まれていたら
もっと身体能力が高かったら(身長、運動神経、顔立ち、胸など)
家族といるよりも友達や恋人といる時間の方を優先したい
田舎には何もないから、都会でないと生きていけない
こんな仕事やらされて、自分はもっと評価をされるべきだ


なんて思ってると、その後何をしてもダメになる。これが「今あるもので幸せ」だというスタート地点に立っていられれば・・・

このことをもっと知りたいから勉強しよう
あの人、自分にはないものを持っていてすごいな、仲良くなろう
家族といて幸せ、友達といても楽しい、恋人といても良い時間を過ごせる
食生活、生活リズム、睡眠、運動をしたら、もっと健康になるかな
たまにはアーバンライフ、たまには自然を楽しみに海外旅行や温泉に行こう
こういうことをしたら自分は社会の役に立てるな
自分は人にこういうことを求められているから、それをもっと追求しよう


とプライベートもビジネスも心も身体も良いサイクル(回転)を生み出す。そのためにはまずは正しい位置に立つことが大事。これすぐにでもできることなんだけど、自分で考えて、物事決めて、行動している人じゃないと、なかなか思えない。人に言われたことに反応していて、今に満足できてるって、それ矛盾してるよね(笑)。満足すること忘れて、次の指示、次のタスク、次の欲に向かってるだけじゃないか、よくよく自分を見つめ直してみよう。
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誰でもミスはする、問題はその後の姿勢

2021-06-10
最近おかしな社会になってきたもので、コロナ対策と言って外食でお酒が飲めなくなったので、馬鹿馬鹿しくて家でご飯を食べることが多い(お酒を提供してくれるところへは高くても行っている)。東京でシェフの腕がいいレストランもコロナになってからデリバリーをしているので、田舎では食べられないものを自宅で食べられるようになって助かっている。そしてたくさんデリバリーしていると、どこかミスがある。今回あったのが真空パックがしっかりと密封されておらず、湯煎したらお湯と具材が混ざってしまった。いくら食材が良くても流石にそれを食べても美味しくはないが、他に買ってあるものはあるからそっちを食べればいい。当然、お店には報告するけど、それはクレームじゃなくて報告。すると先方が手書きの謝罪文まで入れて新しい商品を送ってくれる。そこまでしなくてもいいのにとは思いながらも、お店への印象はとても良くなった。これがハワイで起こっても、謝罪もなければ、改善もない。ほぼ聞かなかったことにして、何もアクションを起こさないだろう(私の経験では95%はこの対応)。

私もたくさんミスするし、誰でもミスはある。ただミスをしたことにちゃんと向き合って後悔し、もう2度と起こさないと思えるかどうかで再発するかしないかが決まる。

会社を経営していても、社会で消費をしていても、ミスはちらほら見えてくる。みんなミスをしようと思ってしているわけじゃない。頑張っている結果、ミスすることもある。個人でできること、組織としてできることがあるから、個人の裁量で起こるミスは組織的に減らすようにしないといけない。それでもミスは出てくる。ミスをゼロにしようと求めると、今の行政や日本企業のように、コンプラと面子が最優先にされて、結果を生むのが遅くなり、社会の、世界の変化にも対応できなくなる。だからある程度のミスは起こるべくして起こっていると認識し、許容することが必要になる。許容している人がいくらいても、マスコミやクレーマーの声をいちいち聞いて規制や張り紙ばかり増やす行政が社会全体をダメにする。

一方やる気がなくて出てくるトラブルはもはやミスではない。これは人災。やる気というのは頑張ってるフリをすることではない。結果にコミットするというやる気。日本の行政、大企業の多くが国際社会の結果にコミットするつもりがないから、これはそもそもミスでもなく人災。救いようがない。ルーティンばかりやって、結果にコミットせず、報酬ばかり求めてくるボンクラ社員も人災。そういう社員がミスしても自分のミスを認められず、謝罪もないから、会社としてできることはクビのみ。

こういうボンクラ社員による人災ではなく、ちゃんとした会社員によるミスを(時には言いがかりも多い)捲し立てて批判するネトウヨやモンスターペアレント、クレーマー客は社会のゴミ。生活していればゴミが出てくるようにこういうゴミはいつの時代もいてこその社会だからしょうがないんだけど、まともに生きてる人間やビジネスしている経営者、真面目に仕事している会社員は気にしなくていい。自分のミスではなく、たまたま当たってしまっただけ。運の悪さは嘆くところかw

ミスしないと言ってる人は嘘つきの強がりだから関わらなくていい一方、自分のミスをミスだとすぐに言える人間の評価は高い。また他人のミスも自分のミスだと言える人間は人の上に立つ器量がある。こういう人材はどんどん昇給して、人を任せる。良い組織になっていく鉄則だ。個人的に付き合う相手もこういう人を選ぶといい。
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知ったかぶりをするな

2021-04-14
自分をよく見せようとしたり、ビジネスの交渉の場で時には必要となるのが

「知ったかぶり」

知らないのに知ったような顔をすること。確かに、これ知らないの?というだけでビジネスの交渉の場ではステージから下されることもあるけれど、

・知らないことを知ること
・わからないことをちゃんと質問できること


がむしろ信用になったりする。私がいる金融の世界はそれが最たるところで、適当なことを言っている金融マンとちゃんと裏を取って話している金融マンというのはプロ同士だととてもよくわかる(一般の投資家から見たら営業マンは知ったかぶりだらけ)。これが英語を軸に話をすると尚更で、そうでなくとも日本人とか外国語を話せないだろうというイメージが強いのに(中国人、韓国人の印象はもはや逆)、適当な相槌打ったり、的を得ない質問を受けたりすると、その場でステージから下されることになる。

なのでどこで使うか、どこで使わないかというのが大事で、顧客の前ではない社内で、わからないことを堂々と伝えられる風通しの良さ、社員同士の助け合う雰囲気というのが求められる。そこでも「知ったかぶり」をすると、永遠に嘘の上塗りか隙だらけのボロボロな人材になり、数年経ったらボロが出てミスだらけになりクレームになる。最後には会社を辞めるという選択肢しかなくなり、社会に出てゼロベースになったら「知ったかぶり」ばかりするようになる。こんな使えない人材をどれだけ見たことか。。

是非「知ったかぶる」のはほどほどにして、わからないことはちゃんとその場で聞こう。それでも知ったかぶってしまった時は、(聞いた方が本当は早いんだけれど)自分で知らないことの10倍は勉強しよう。
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相手の反応を見て会話をするな

2021-03-28
海外生活が長くなり、必然的に日本との違いをハッキリと感じるようになる。色々な違いがあるんだけれど、普段ただ会話をするだけでも違うのが会話の手法。日本に帰って毎度言いたくなるのが・・・

「相手の反応を見て会話をするな」

言語が違うのはもちろんなんだけどw、他のアジア人含む日本人以外は自分が言いたいことをハッキリと持ってるから、言いたい事を最後まで言う。逆に人が話している時は最後までじっと聞く(腰を折ったりもするけれど)。

対して日本人は小さい頃から徹底的な同調教育を受けているせいか、人の反応を気にする。同意の合図をもらわないと自分が不安になるのである。相手に不安にさせたくない気持ちもあり、いちいち相槌を打つ。「私は聞いているよ」という合図である。これが慣れてる日本語だったらまだいいけれど、本当に迷惑なのが英語で話している時に「YES,YES」とか「うん、うん」とか言う日本人。相手の話が全然わからなくなるから、全員に迷惑千万である。

セミナー講師、会議の同僚、寿司屋の大将、バーテンダー、マジシャン、普段の日本人同士の会話(男女含む)・・・相手に反応してもらえるのを期待した会話の構成を考えるの本当にやめてほしい。自分で言いたいことの結論と筋道をちゃんと決めた時点で言葉を発してほしい。海外でそれやったら「だから?なんでその話始めたの?」である。日本人だからといって気遣ってくれるガイジンはしょうがないからそこに自分の考えを乗っけて話が盛り上がってるようにしてくれるけれど、彼の話の方へ持っていかれてしまうので、投げたボールは返ってこないよ。だから英語ができるできないの前に会話にならない。ガイジンの代弁させてもらうと「周りくどい」んです。ガイジンの方が「ストレートすぎる」んだとか排他主義の日本人は言うけれど、私が知る限りこんなことしてるの日本人だけです(韓国人は表面的なことだけ言って100%嘘ということが多々あるけれど)。

ちなみに私はだいぶ意地悪なので、そういう相手にはわざと返事をせず黙って聞いている。同調しない。相槌も打ってやらない。自分で発した会話のケツを自分で拭かせる。どれだけの話をできるのかチャンスをあげる。自分に自信のない人間はそこで脱落。一対一なら会話を降りるし、お店のカウンターだったら別の客か従業員に話しかけて誤魔化す。当然そんな店には二度と行かない。自分の仕事に自信がないのと同じなので、プロフェッショナルにお金を落としたい私からしたらもうそこに価値がない。自分の会話が誤っていたことに気づいてその場でやり直せたらまだ合格である。

一生日本人とだけ会話をして、付き合っていくって言い切るならそれでもいいんだけれど、今のご時世で流石にそんな恥ずかしいことも言えないでしょう。商売だったらインバウンド相手にしないといけないし、グローバライぜーションという同調圧力があるだろうからwお寿司は日本の代表だからっていつまでも胡座かいて日本語でネタの名前だけ言って誤魔化しますか?

なおこれを逆手に取ると、こんなブログも読まない、海外にも行かない、英語も話せない日本人を扱うのは極めて簡単になる。男女関係だったら、とりあえずなんでも相槌打って同調してあげればいい。特に女性はそれで満足。デートで相手を口説きたかったらひたすら同調、共感である。保険や車、家を売りたかったら、商品の話を論理的にするよりもひたすら無駄な会話のキャッチボールを繰り返す。そのキャッチボールの回数=信頼になる。蓋を開けてみたら(保険だったら契約1年後、車だったら車に乗り出してから、家だったら住み出したら)、ここ聞いてないよって質問した自分を責めず、営業マンを責める(当然、無意味な会話ばかりをして、大事な質問をしなかった本人が悪いんです)。バカ高い保険料、割高な輸入車、買った瞬間から価値が下がり出す家でも売れるのは、そういう客だからなんです。はい、海外ではそれじゃ売れないから、ちゃんとした商品競争があるんですね。セミナーもみんなの共感を煽り、セミナーに来ている瞬間だけが最も充実していている共感を呼べることが主催者のゴールなんです。セミナー後、家に帰ってそれを実行して2度とセミナーに来なくてもいい生き方、ビジネスをできることがゴールではありません。こうして「セミナー族」「資格族」ができ上がり、永遠対象を変えて時間と労力、お金を費やしていきます。

日本に住んでいても無駄なものを買わない、無駄な会話をしない生き方をするのか、無駄でもいいから変わらない楽さを選ぶのか。後者だったらここまで読んでないかw
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人それぞれなんて言ってる場合じゃない

2021-03-22
もう禁句にしたいって思っているのが・・・

「人それぞれだから」

という言葉。

「そんなことわざわざ言葉にしなくても誰でも知ってるよ。。。」

です。
最近の日本社会のブームなのか・・・

人それぞれの生き方(ケセラセラ)
それぞれの働き方(フリーエージェント)
子供それぞれ個性にあった育て方(モンテッソーリ)


と言いたい人がなんと多いことか。確かにこれまでこういう本質的に当たり前のことが、受け入れられてこない封建主義な社会でした。詰め込み式の義務教育に受験勉強、新卒採用。会社に勤めたら年功序列、終身雇用。子育ては躾に集団調和。どれも間違ってますけど、それ先進国では日本だけが何周か遅れていまだにやっていただけで、「人それぞれ」であるべきだというのはもうずっと前からグローバルスタンダードなんです。そんなことはベースである上で、他者よりも秀でるには同じ時間をどう生きるのか?が大事なんです。

ケセラセラだと言って、40歳にもなってまだフリーターやってる人、周りにたくさんいます。私の世代がちょうど就職氷河期で、派遣社員ができた時代です。やりたいことを見つけようって見つかるまでは親元にパラサイトしたり、バイトで食い繋いでいくフリーターが急増しました。それが40歳ともなると、結婚しないで一人で生きていたり、家族を持っても十分に養える稼ぎもありません。それまでフリーターで起業もできるわけありませんし、どこかの社員になることもできません。むしろこれまでの自分の人生肯定と小さなプライドが邪魔して身動き取れてません(その生き方がダメだと言ってるわけじゃなく、人それぞれだからそうやって勝手に生きてくれていいんですけど)。

コロナで悪化しましたが、自分のスタイルを取り戻すことが先行してしまい、一体自分がどんな価値を世の中に、会社に、顧客に提供できるのか口にしない人達がずいぶん増えています。我々の仕事で言うなら、投資家が何を好むのかは人それぞれです。顧客に合ったものを提供するから収益重視なことはしないって平気で言うダメ営業マンいます。そんなの職業倫理としてわざわざ口に出すまでもなく当たり前なんです。そんなことを普段口にしている人は結果的に契約も多くなく、収益も少なく、家族に皺寄せが来ます。(正しいことをした上で、が前提で)もっと稼いでいたら、顧客からも感謝され、家族にも感謝され、自分も新しい経験をするお金も時間も作ることができるのに。家族を持ち、責任を持つ人は、社会人としても責任を持てるので、会社への責任感もあるし、顧客への責任感もあります。責任を持ったら「人それぞれ」なんて言葉を言ってる暇がありません(結婚しないのも人それぞれだし、家族持たないのも人それぞれですが、誰かと仕事する限り結果に責任は持ってください)。

子供を育てる上での最大のベースは「人それぞれ」です。親御さん含む大人の都合を押し付けてはいけません。子供一人一人を見て、それぞれの個性、ペースを尊重し、育む必要があります(モンテッソーリ)。そんなのは子育てする上で、当たり前のことなんです。けれど、その上で、同じ一日、一年をどのように過ごすのか?で同世代と比べてどれほど秀でることができるのかが決まります。経験をしていない子には経験をした子ほどの選択肢はありません。自律をせず、読解力を持たず、自分が一生したいことを見つけることができなかった子供が大人になって「人それぞれ」だからと言っていても、健康だからということで親としてそれで満足でしょうか。モンテッソーリ教育と言いたいだけの学校が多いことも目につきますが、それが教育のゴールになってしまっている親御さんもよく見ます(健康な大人になることだけが目標の親御さんも人それぞれですからそれでいいですし、子育てに答えがないなんていうのも当たり前、じゃあ習い事増やせばいいというのも間違ってます)。

自分らしくではなく、自分の社会における価値を上げようと思うなら、「もう一歩先」を是非見てほしいと思います。
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