与える人間、与えられる人間、一人で生きる人間
2018-06-25
なんでもタイプ分けするなと言われそうだけどw、現実的に38年生きてると、色んなタイプ分けがあるけれど、こういう分け方をすると3通りで分類される。1)与える人間
2)与えられる人間
3)一人で生きる人間
私もそうだけど、1)与える人間というのは常に
「私が会社に、社会に、顧客に、友人に何ができるかな?」
という思考で物事を考える。
そのために自分ができることを増やしてき、最大限をそれをTPOで発揮できるよう行動していく。
タイプ的には必然的に経営者に多いと思うけれど、経営者でも政府に、取引業者に、既存客に何かを与えられることだけを待っている経営者も多く見るので、一概に経営者だから、というわけでもないと思う。
対して、こうした1)から与えられることを待つ人間たち。これも同じくサラリーマンだからとか、士業だからとか主婦だからと分けられるわけでもないと思うけれど、与えられることを待っている人達というのは決まって、
「今季の目標はなんだろう?」
「〇〇さんがこう言っているから」
「〇〇協会がこういっている」
「この業界はこうすることが慣習」
という何を誰に与えられるか?思考になっている。
これは考え方、姿勢であって上記職業の中でも色んな人がいる。
サラリーマンでも会社という組織の中で自分ができることを最大限発揮するために生きている人は自然と経営感覚が磨かれ、役員になっていく。
そうでないとずっと平社員(給与&賞与)の世界で生きる。
士業でも資格を取った後ビジネスとして努力していく人は自然と与える人間思考になっていく。
でないと客もついてこないし、収入にならないからなんだけど、それがわからない人はただ資格取って、みんながしてるからって独立して、客に仕事を与えられることを待っている。
主婦も・・・同じだと思うけど、プライベートなことと、自己肯定の主婦が多いのも事実だから、あまりここは触らないようにしよう(笑)。
いずれにせよ与えられる人は与えられることに待っている習慣が板についてるから、与えられることを期待していただけで自分では十分なことを自分からしてこなかったにも関わらず、結果が伴わないと他人批判に走る。
こっちがマジョリティだから社会は面倒くさい。
営業マンもこっちが多い。
客に買って欲しい、この人お金持ってそうだからってすり寄って来てるのは自分にも関わらず、買ってもらえないと、否定されると逆否定(逆ギレ?w)に走る。
与える人は、それ知ってるから、与えられることを待ってるだけの営業マンは関わらないか、ハッキリ拒否します。
最後に3)一人で生きる人間。
社会って競争社会で、こういうのはあって当たり前。
与える側と与えられる側両方を見ていると、与えるほど責任感を持ちたくもないし、自分にその器量もない。
けれど与えられる側は、上の顔色を伺わなきゃいけないし、自分の自尊心も傷つく。
だから一人で生きよう、って1)、2)から逃避する人もたくさんいる。
結果、一番楽な一人で生きていくことを選ぶ。
けどこの人達もたまに誰かと関わると与えられる人間になる。
与える器量はないから、結果そうなるよね。
けどそこで一人ではないから必ず不満が出てくる(与えられる側にも関わらず)。
自分は自分ってわけわかんない正当性を出してきて、与えてもらってるものだけもらうことを当然のようにもらっていく。
そしてまた一人の世界に戻る。
これを何度も何度も年齢関係なく見てきた。
そしてその人がどんな人かって見極めるのって意外に簡単で、今現在その人がどの姿勢で物事を考え、発言し、行動してるか、っていうのを見ると、どのタイプの人間なんだってすぐわかる。
そして・・・
どのタイプと付き合いたいか?
この社員はどのタイプか?
この営業マンはどのタイプか?
というので自分が付き合うのかを決めるといい。
2)の人はむしろ1)の人の方がメリット大きいから近づいていくことになると思うし、3)の人は3)の人と付き合うことが多いと思う。
けど1)の人は与えることに慣れてるし、与える対象になる人は1)ではないだろうから、2)と3)の人をいかにうまく付き合って、いかに価値を創造していくか?という思考になる(結果、社会や会社に価値を与えていくことになるから)。
tag :