「忙しい」という言い訳
2011-01-31
最近、おもしろい50代の方にお会いすることがありました。その方は元々ファッション系のデザインをメインにされている方で、今は、というよりもうずいぶん前からファッションの仕事から離れ、悠々自適に毎日のように釣りをしたり、好きな音楽をしたり、自分でクラブを貸し切って2400人を呼ぶイベントを開催したりして楽しい人生を謳歌しています。その方にお会いした時に言われたのが、世の中「忙しい」を理由に結局大事なことは全部後回し、というより後にまわしても結局何もしない人が多いということでした。その方であったり、私であったり、本当に忙しい人は、仕事も遊びも人の3倍くらいするので、時間が貴重だとわかっています。時間が限られていて貴重だとわかっているから、逆に無駄な人間とは関わらないでいられます(時間がもったいないですから)。
逆に日々の受身の仕事に追われているサラリーマン、それ以外にアンテナを立てていないから、人生がどんなに素晴らしく、色々な機会があるとも知らないままの人たち、子育て、家事をずっと黙々としていて、旦那とママさん会話では愚痴ばかり言っている主婦。ただ自分は社会に適していないと、努力もせずただなんとなくすごしている若者。皆、どこが忙しいのか私には理解出来ないのですが「忙しい」と口癖のように言います。
そういう忙しさなど、まずすべて捨ててもいいでしょう。意味のない忙しさほど価値のないものはありません。また人生捨てなければ次に見えてくるものも見えません。人生どれだけ捨てられたかで、どれだけ新しい世界を体験できるかが決まると言っている人もいますし、そのとおりだと思います。時間ができてから初めて真剣に「自分の人生の時間」というものと向き合えるのでしょう。
といっても、それに気づいて動けるんだったら、もっと早く動いているんでしょうけどね(笑)。人間誰しもが「きっかけ」というものを持っているものです。私はそれがたまたま高校にあったのでもう半生以上そのスタイルで生きていますが、皆さんもどこかであったのか、まだないままなのかのどちらかでしょう。このブログが一つの「きっかけ」になってもらえると、書いたかいがあるというものです。
次はまたその50代の方にワカサギ釣り(凍った湖の上でテント張ってするあれ)に連れていってもらえるので、いろいろお話できるのが楽しみです。。。
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