ルール(規制)のない社会
2013-02-22
先日、来日したスイスのプライベートバンカー(スイス人)とのミーティングで、スイスの商習慣とアメリカの商習慣の違いを話していた。スイスはそもそも当たり前(この定義は難しいが)だということを文章には落とさない。してはいけないと倫理的に皆がわかっている(社会がそう自然に教える)ものに関しては、契約書に文章化しないという。対してアメリカはアングロサクソン、先住民、アフリカ系、ラテン系など色々な人種がいるからか、そうしてすべて起こりうること考えて文章化する。簡単に言ってしまうとスイスが「性善説」でアメリカが「性悪説」というところだろうか。日本はどうだろう?まずすぐに言えるのが多民族国家ではない。むしろ超保守的な単一民族国家だ。文化も嫌というほど重んじる。「空気を読む」という習慣もあることはスイスと似ている気がする。しかし恐ろしく規制が多い。官僚がすることといえば、社会を良くするという目的を忘れ避難を避けるための規制作りだろう。いや、一番大きな仕事は自分たちの天下り先を作ることか(笑)。
日本全体がスイスのようになれないなら、逆に一部のコミュニティはどうだろうか?日本では最も高級住宅街といわれる田園調布へふと行くことがある。田園調布はとてもいい街だし住んでいる人も違うと思う。しかし小さな駅で行き交う車もほとんど限られているのに、駅前には信号がある。道の脇には横断できないようにとバーが敷かれている。きっと過去誰かがここで事故をしたんだろう。しかし最も質の高いはずのこの街でもやはり「ルール」を作り規制をしなければいけない状態になっている。
住みよい社会とは何か?見えている世界によって、人それぞれ答えは異なってくるとは思うが、私は規制が少なく自由で個を重んじる社会だと思う。もちろん性悪説でいえば、個を信じるには材料が足らないとは思うが、それでもどちらが気持ち良いかというと性善説だと思う。社会を変えるのは難しく果てしない労力を使うが、住みよい社会というのは世界のどこかにはあるものなのだろう。
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