育てることと守ること
2013-07-26
私も33歳になり、最近覚えてきたことが「育てること」と「守ること」。年齢によってこの価値観は全然異なってくると思います。若いうちは自分自身が育つ立場なので、周りから育てられ守るものもなく、恐れもなくリスクに立ち向かって行けます。
それが年を取るに連れ、育てるもの、守るものが出てきます。
・恋人
・配偶者
・子ども
・ペット
・会社(経営者の場合)
・名誉(プライド)
・友人
・家
・親
それ以外にもいろいろあるとは思いますが、私にとって思いついたものだけでもこのくいらいはあります。そしていつか自分が変化し育っていくことの楽しみよりも、人を育てること、守ることへの楽しみに変わってきました。
なぜでしょう?自分にそれほど関心がないからでしょうか?自分で自己検証してみるに、おそらく自分自身はとうに高いハードルを設定し、その結果越えなければいけない山がたくさんあり、自分が変化し育って(しかも速く)いくことが必須でした。その結果、自分自身に対してはある程度やりきった感があるのです。
もちろん上の方たちから見たらまだまだだと言われると思います(笑)。こんなことを書いているのを見られたらお叱りを受ける光景が目に浮かびます(笑)。私が言いたいのは、自分はもうこれ以上変化しないし成長しないということを言っているのではなく、自分が変化し成長するのは当たり前になっているのです。これに関しては、自分でも恐ろしいことにもう止められません。正直放っておいてもそちらに向いているので、むしろ自分でブレーキをかけなければいけないくらいです。
だからそこは私にとっての感心事ではないのです。むしろ会社であれば社員が育ってくれ、会社を自分たちで育ててくれ、大きくしそこにやりがいを持ってくれる。私はまだ子どもがいませんが、その代わりに生後10日からチワワを飼っていました。既に3年半がすぎましたが、立派に育ってくれました。もう手のかかることはありませんが、これからしなければいけないのはシツケでしょうか(遅い、、、)。大事な人にもある時は私よりも優先してきました。成長しきった大人を、しかも社員のように何も同じ目的がない人間を育てるのはとても難しいです。それでもそうすることに楽しんできました。私は子どもがいませんが、子どもができたらきっと今まで以上の育てる楽しみができることでしょう。
こうして自分にとって大事なものができ、育てる楽しみを覚え、守ることを考えだすと、やはりそれらを捨てられなくなるものです。だから何かを育てる、守るということは人の生きる力になります。ただその反面、それが弱点にもなります。そう、常に後ろを気にしながら社会で戦わなければいけないのです。そもそも戦わない人間であれなこんなことを気にする必要もないのかもしれません。しかし私はそうはいきません。今までも、今後も戦っていくということは変えられないのです。
いつかアーリーリタイアをしてしまえば楽になるのでしょう。しかし私の本質がそういったものは望んでいません。生涯現役でいようと思っています。だから守りながらも戦わなければいけません。しかし時にはすべてを守れない時もあ出てくると思います。どれかを捨てなければ他を守れない時もあります。その時はとても苦しい苦しい選択となります。
きっとこれが人生なのでしょう。これを正面から向き合って繰り返していくことで、また己と育てるものを成長させていくのだと思います。
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