コミュニケーションというもの
2013-10-19
昨日、ずいぶん久しぶりに中国流の楽しい夜を満喫しました。というのもこれ(笑)。



ブログに載せる写真じゃないかもしれませんが(笑)、これはこれで中国系の文化です(参加者は皆香港人)。私もこの日日本にいる友人で知り合ったばかりの方。そしてその友達たち。で、これだけ馬鹿騒ぎです(笑)。とはいえこの方たち80年ファミリー・ビジネスをしているような成功者ばかり。私もSIMフリーのiPhone5sを用立ててもらいました。電話一本でした。。
こうしてカラオケに来てすることといったら、サイコロゲームをしたり、ポーカーをしたり、あっち向いてホイをする。そして負けたら飲む。代わる代わる来るキャバ嬢(中国では「シャオジエ」という)とたまにカラオケして、何でもない会話をする。ただそれだけである。
私もなんだかんだ言いながらすっかり日本社会にどっぷり浸かっていたな、と思った瞬間でした。こうしてどうでもいいコミュニケーションを中国語や英語(私は広東語ができない)でしていると、ただそれだけで十分なのである。それ以上誰が何をしていて、何の目的があって今ここに集まっているのか?ということなどほぼほぼどうでもいいのである。
遡ること10年。私は中国にいました。
※私の中国留学記はこちら
10年も経つと、また相当発展して変わってしまっているとは思いますが、語学留学そのものはそれほど変わらないでしょう。見知らぬ土地へい行って、まったく知らない人たちと0から知り合い、自分のコミュニティを作っていく。そして言葉を話せるようになることだけが目的なので、それ以外のことを考えなくていい(もちろん話をするためのネタ探しや、自分の深みを作ることなどは必要ですが)。要はビジネスとかそれをもってどう稼ごうとかそういう風に考えなくていいのです。ただ楽しみ、リラックスをした生活をすることができる。それでいて語学力は日に日に増していくので、自分の成長が楽しい。ポジティブスパイラルです。
これがコミュニケーションの本質だと思います。ただたまたま隣になった人と話をする。それが何人か何語か男性か女性かなど特にどうでもいい。ただなんとなく会話をするのである。日本にいるとそれそのものが「なぜ?」という行為に見られ、「あなたの目的は何?」と見られる。そんな息苦しい社会になってしまっています(東京が特にかな)。今回、香港に来て、ビジネスや人生に目的があって来たのですが、意外なところで再度認識させられることが見つかるものです。やはり答えは・・・
「その場にいてはいけない」
前を向いて歩き続けよう、と改めて思えた日でした。
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