肯定的なことを言おう
2020-07-26
毎日うちのメンバーがブログ書いてますよね。人によりますが、一日1記事、多い時は2記事上げてます。ブログを書くという作業は常日頃からインプットする作業とアウトプットをする作業とを繰り返していく鍛錬になるため、必ず何かしら成長することができます。ブログを書こうと決めたのに書けない人というのは、言語力の問題もありますが、この鍛錬が永遠できないということになります(最後はインスタになるかただの傍観者になるか)。その記事の内容を私はほとんど意見しません。基本的なプリンシパルは同じだから一緒に働いてるので、細かな考えや分析、行動は各自自由にした方が、発想豊かに、またそれに伴った多種多様な顧客が見つかると思っているからです。しかし唯一言っていることが・・・
「肯定的な文章を書くこと」
肯定的というのは何かと言うと、
1)物事の事象をあるがまま捉えること(そこに不平不満、バイアスを持たない)
2)わざわざ言わなくていいことも、言ってあげること
3)何事も将来どうなるかなんてわからないんだけど、自分が思うこと、そのための対処法をハッキリと伝えること
です。
1)最近中年になってきたからか、若い頃は社会や未来、世界に希望を持っていましたが、なんか知れば知るほど社会も国もメディアもひどいことだらけですよね。綺麗事はたしかにそこに存在するとしても、その存在価値って10%にも満たないと思います。けれどその社会も世界もそもそもそこにそうあるものなんです。僕らが気づいたのが今だからであって、これを何百年前から(もっと前から)永遠と繰り返してきます。テクノロジーが進化したとか、差別がなくなったとか、男女平等になったとかそういう進化はあれど、社会のあり方はずっと同じなんだと思います。それに対して不満を言って何になるんでしょうか。不満を言うということや怒りが人の原動力となることはわかります。その方が口は進むし、文章も進みます。けれどそれを言ったところでどうにもなりません。言われて反応するのはまた同じように不平不満を持っている人だけです。as isで受け入れてる人達はそういう人から距離を置き出します。肯定しない人が誰にも助けられないで、人生全前進しないことを知っているからです。前進しようと肯定して生きている人は、肯定的な言葉を周りにもかけることで、自分と同じような前進する人達だけと生きていきます。
2)そこで余裕がある人は(つまり普段から肯定することが当たり前になっている人は)他人にも肯定的な言葉をかけてあげます。
「そうだよねー」
「あるある」
「いいねいいね」
「良かったね」
「肌綺きれいだね」
とかなんでもいいんです。一言目が肯定的だと会話もスムーズになります。日本は特にですが、海外でも都市化とデジタル化が進んでいることで、わざわざ必要のない言葉を発しなくてもいいって勘違いしてる人が増えています。話せばいいことも文章で伝えたり、「いいね(LIKE)」で済ませたり。これはタスクの効率化と距離を縮めるために使っているツールであって、目の前にいる人にすることではないですよねwわざわざ目の前にいる人に(赤の他人でもOK)話しかけてみてくだださい。生産性のない会話をしてみてください。肯定的なキャッチボールは人生の潤滑油になりますよ。
3)わからないことを「怖い」と思い、その怖さからの逃げて何でも否定している人がいます。これは単に逃げているだけで、向き合ってもいなければ、問題解決もしていませんよね。誰だって「怖い」という気持ちは持っています。私にもあります。けれどそこで逃げず、向き合い、問題を浮き出して、解決する算段をして、行動する。これを繰り替えしていくことで、怖さを克服できるようになります。肯定の半彝語は否定ですよね。自分が何かを肯定できてないなって思ったら、何かに怯えているんじゃないかともう一度見つめ直してみましょう。
そしてその解決策をアウトプットしてください。それが間違っててもいいんです。なんでも結果論で揚げ足取ってくる上記のような否定者が多いですが、そんなのは無視するかブロックすればいいだけで、そこまで向き合ったことが大事ですから、堂々と発言してください。そして間違っていたら、何が間違ってたんだろう?ともう一度検証すればいいんです。だから成長します。向き合わず、発言せず、独り言のように永遠自分の中でだけぐるぐるしてたら「怯え」が増長しますよ。
そういえば、昔野村で営業をしていた時に、この「怒り」と「怯え」を抱えて、ずっと資産が塩漬けになっていた顧客がいました。私は前の担当から引き継いだだけで、経緯は知りませんが、顧客管理システムを見たら「塩漬け」という状態がわかります。そしてその銘柄はもう今後上がる見込みはありません。だから営業マンとしては当然売却をして新しいものに乗り換える提案をします。その時は2007年とかでまだまだ金融危機前です。私はインド株投信を勧めました(元々株資産だったのでリスク許容度はある)。長期的にインドは人口が増えていくし、BRICsに入っているように、今後国民の所得増とともに消費が爆発することが目に見えていたからです。結果、投資したらその年、下がってしまいました。するとその顧客は私の上司に
「あの営業マンは肯定的なことしか言わない」
と言うんですwそりゃあそうですよね。リスクとリターンを合わせて肯定的な面があるから営業しているんです。インド株を勧めているんです。2008年のリーマンショック前日に私が野村を退社してるので、その後その方がどうなったかは知りませんが、結果は御存知の通り、金融危機時は下がったけれど、今は大幅な利益が出ていますよね(ちゃんとその人が保有し続けていたら)。
繰り返しになりますが、「怒り」「怯え」と「肯定」は対局にあるものです。自分がどちらにいたいかはハッキリしてますよねw?きっとみんな肯定的でいたいと思うはずです。しかしイージーに生きていると「怒り」と「怯え」の引力に引かれて、そういう人達ばかりが周りに残るようになります。しかしそこからは何も生まれず、不幸だけが残り、本当の友達もメンターもいません。肯定をする人達はそこに関わらず、どこにいても楽しい会話と人間関係があります。それが特別でもなく当たり前なんです。与え、与えられ(プレゼントじゃないですよw)、それを繰り返して運を獲得していきます。実は俗に言う「成功」はその先にあるんです。「成功」の話はまたいつか。
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